超高齢社会を迎え、一昔前ではタブー視された相続の話や「終活」という言葉も、違和感なく話題に上る時代となりました。老後には十分な時間とお金があるとされる現代、人生の集大成である「旅立ち」について少し立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。

高齢社会問題に国際的な視点から取り組んでいるILC-Japan(国際長寿センター)の志藤洋子事務局長に「納得できる旅立ちとその準備」に関するお話を伺いました。

ILC-Japan(国際長寿センター) 志藤 洋子 事務局長 志藤 洋子 氏

「死」が日常から隠されるようになった現代

多くの方が自宅で亡くなっていた時代には、暮らしの中に「死」がありましたが、医療が発達して病院の数が増えるにつれ、病院で専門家の手によって扱われるものという感覚に変わっていきました。現代では、私たちの暮らしから切り離され隠されている「死」とどう向き合ったらいいのか、考えにくい状況になっています。

一方で、昨今の終活ブームで、お墓やお葬式や相続など、自分が旅立った後に家族が困らないために準備をしようと意識される方は増えましたが、一番肝心な部分が抜け落ちてしまっています。それは、どのような経緯をたどって、どこで死を迎えるのかという“ご自身の旅立ち”そのものへの意識です。「納得できる旅立ち」を考えるとき、万人に訪れる「死」と真正面から向き合うことは避けられません。

現在、平均寿命くらいの方が病気になったとき、病院にかかっても50代のころの元気な体を取り戻せるわけではないですよね。病気と折り合いをつけながら最期のときに向かってどのような旅立ちをしていくかを、ご自身でよく考えないといけないのです。定年を迎えた人の多くは、寿命を迎えるまでにまだ時間があります。そのときまでに、納得できる旅立ちまでのプロセスを考えておくに越したことはありません。

死亡場所別にみた死亡構成割合の年次推移

死亡場所別にみた死亡構成割合の年次推移

納得できる旅立ちのために
―「お任せ」は卒業、まず「知る」ことからスタート

志藤 洋子 氏

私たちは、進学や就職、結婚など、人生の岐路に立った時、自ら判断して選択しながら生きてきたはず。特に高齢期になれば、過去の経験や知恵の恩恵を受けることも多いはずです。ところが、いざ病気になると、自分の治療をどうするか、誰かが決めてくれると思っていませんか?自分の「死」から目を背けたいという意識が働くのかもしれませんが、思考停止で専門家に委ねてしまうケースが少なくありません。これでは自分らしい最期を迎えることは難しくなってきます。

自分が将来どんな病気になり、何が原因で最期を迎えることになるのかは分かりません。しかし、病気になってしまった時、症状や治療方法や費用について情報を集め、自ら選択し必要な準備をすることはできます。どんな病気であっても、知識と情報がなければ選択も準備もできないことを、まずは理解していただきたいと思います。

例えば医師が言う「治療」という言葉には、「予防的治療」、「治癒目的治療」、「緩和目的治療」、「維持・延命治療」の4種類の意味があります。自分のうける治療はどんな治療なのか、それは自分が望んでいることなのか、しっかりと確認することも重要です。高齢になれば完治が難しく、病気とうまく付き合う必要もでてきます。

病気が進行し、今までできていたことが自分でできなくなったとき、自分はどうしてほしいのか。例えば、認知症と診断された場合、介護保険サービスを受けながら今までの暮らしを続ていくのか、特別養護老人ホームなどの施設に移ろうと思うのか。自力での食事が難しくなった時に胃ろう造設を望むのか、自己決定ができない場合は誰が最終決定をするのか等々、終活の前にも準備をしなければならないことはたくさんあるのです。延命治療が必要と医師が判断し、患者に判断能力がなく、事前に明確な意思表明がない場合には、家族はいったんつけた人工呼吸器をはずすような選択はできないでしょう。

日頃から、家族や医師などの専門家などとのコミュニケーションの中で、自分の意思をはっきりと持ち、それをしっかりと伝えておきたいものです。そうしておくことで、不本意な治療が行われる可能性を少なくすることができます。くどいようですが、「無駄な延命はしたくない」と言っても、「無駄」の範囲は人によっても、立場によっても全く違うのですから。

人生の最期を自ら創造する―知恵の発揮どころです

これからは、病院で死ぬことが難しい時代になっていくのではないかと思います。治療のすべがない病状の人は、病院を退院しなくてはならないケースも増えるでしょう。

人生の最期に納得のいくゴールを切るために、自分の旅立ちの仕方を誰かに委ねるのではなく、「誰と」、「どこで」、「どんな風に」過ごすのか。これまで蓄えた知恵を発揮して、人生の最期というプロジェクトをマネジメントして寿命を全うする―私は「プロダクティブ・エイジング」という言葉で表現しているのですが、現代はそれができる恵まれた時代です。「老いては子に従え」の時代ではないからこそ、逆にやらなければならないことも増えています。自分の旅立ちは自ら設計するのだという発想の転換と、そのために正しい知識と情報を得て準備をすすめ、周りにもその意思を明確に伝えるという努力が必要な時代になっているのです。

一秒でも長く生きたいのか、それとも、あまり痛みが無く穏やかに最期を過ごしたいのか。「長さ」と「質」の選択は、その人の価値観によって違います。最期まで自分らしい人生を送るためには、賢くならなければいけません。必要な情報を知らないで不本意な最期を迎えなくてすむようにしていただきたい、そのことを、少しでも多くの方にお伝えしたいと思います。

人生の最終段階における医療について家族と話し合ったことがある人の割合

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